路傍の感想文

創作物の感想

ゲーム『魔法使いと天使と悪魔~Two Choices of destiny~』感想

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大魔法使いの祖父とひっそりと慎ましく暮らしていた魔法使いのルシル。ある日、魔法使い狩りで住んでいた森や家を人間に焼かれ、傷を負ってしまう。祖父の最後の魔法で住んでいた森から遠い場所に転送されたルシル。ぬかるんだ泥の中に倒れ込んで体を動かすことさえままならない彼の前に二つの影が現れる。

 Varenyettより2018年11月30日に発売された18禁BLゲーム。

 

「選択せよ」
冷たい雨が降りしきる中、死を待つルシル(演:青葉七海)に差し伸べられた手。
暖かで優しい光を選べば、天使に護られる。
蠱惑的な闇を選べば、悪魔に囚われる。
命運を賭けた究極の選択でストーリーは開幕する。

 

企画・ディレクション・原画を務めるのは、『赤ずきんと迷いの森』や『鳥籠のマリアージュ』の原画を担当した西緒十琉。特徴的なキャラクターデザインと灰褐色を基調とする背景美術は親和性が高く、西洋ファンタジーの世界が見事に構築されている。ピーター・ボストンやフェリクス・ホフマンを彷彿とさせる背景スチルは、児童文学の挿絵を眺めているかのような錯覚を覚えさせる。

 

物語の舞台は城内(悪魔)、沼地(天使)と限られた空間。攻略キャラクターは二名のみ。閉鎖的な作品世界は息苦しさすら感じさせる。それはまるで家族と故郷を失い、心を閉ざすルシルの内面を反映しているかのようだ。

この閉ざされた世界でルシルが出会ったのは、愛に殉じる天使と絶望に蝕まれた悪魔。彼らとの交流を通して、ルシルは憎しみに囚われた心を払拭し、魔法使いとしてのアイデンティティを取り戻す。GOODエンドでは、恋人になった彼らと共に、箒に乗るルシル。仄暗い城や沼地から大空へ。ルシルは魔法使いらしく箒に乗って空へ飛び立つ。その飛翔は、彼の心の解放を投影している。

 

①悪魔ロベリア(演:佐和真中)

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悪魔ロベリアの居城へ運ばれたルシル。祖父と住んでいた森を奪った人間たちへの憎悪を滾らせるルシルに、ロベリアは契約を持ちかける。
ロベリアが提示した条件は四つ。
1、ルシルの身体をロベリアの自由にさせること。
2、ロベリアの望む限り生きながらえること。
3、この城から出ないこと。
4、期限を三ヶ月間とすること。
契約が終了しルシルが自由の身となるのは、三ヶ月後の冬至の日。ルシルは冬至まで城内で過ごしながら、契約解除の方法を探していく。ルシルに在るべき道を説く天使を拒絶し、ロベリアを最後まで信じていればGOODエンドに到達する。


このルートは欲望と情愛に特化しており、ルシルは幾度もロベリアと体を重ねるうちに彼に惹かれていく。欲望に忠実な悪魔という設定を生かして畳み掛けるように濡れ場シーンが連続する。

暴行された上に服を奪われて常時全裸という屈辱的な状況に置かれているルシル。彼が加害者側のロベリアを愛する過程は、ストックホルム症候群のようである。おそらくロベリアの語る「お伽噺」と過去の幻影を通して、ロベリアの深い孤独が判明し、情が湧いたと読み取るべきなのだろう。しかし、ルシルの感情の変化より濡れ場シーンに尺が割かれているため、ロベリアが床上手だから惚れたようにも見受けられた。


ロベリアの「お伽噺」は、大悪魔と契約した男と娼婦の間に生まれた悪魔の子の物語。

悪魔の子は誕生前から呪われていた。天使の託宣を受けた賢王は悪魔の子の出生を阻むために数多くの新生児を殺害し、死後は地獄に堕ちたという。悪魔の子を身籠っていた娼婦は、王命に関心がなかったために難を逃れたが、子どもに対しても無関心であった。生まれながらに災厄を身にまとった子どもは大悪魔に育てられることになる。
ほどなくして子どもは沼に放置される。魚や虫を食べて生を繋ぐ日々。ある日、天使の託宣を受けた人間が現れて、子どもの胸に剣を突き立ててしまう。そうして子どもの胸からは猛毒が溢れ出したという。

 

 


②天使フロウ(演:京祭七日)

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天使フロウは廃院で医者をしながら人間社会に溶け込んでいる。ルシルはフロウの仕事を手伝いながら、魔法使い狩りで傷ついた心身を癒やしていく。

すべてを奪った人間たちへの憎しみを抱えたルシルを真摯に諭すフロウ。フロウは人間界に降臨したときに苦難を味わい、大切な人々を失った。人の命は脆く、天使は疫病で苦しむ村人を救うことすらままならない。葛藤を抱えながら、それでもフロウは人の愛を信じていた。ルシルはフロウと対話するうちに、徐々に外の世界へ心を開いていく。ルシルの人間たちへの憎悪が解けていく過程が丁寧に描写される。


終盤では、フロウに与えられた使命が明らかになる。
第一の使命は汚れた地の浄化である。かつて天使の宣託を受けた人間が沼地に住む悪魔ロベリアの胸に剣を突き立てた。するとロベリアの胸からは猛毒が溢れて、沼地は呪われてしまった。フロウの使命はこの禍々しい沼地一帯を浄化することだった。

第二の使命はルシルの心を手に入れること。
天界は魔法使いの心が悪意のある存在に惑わされることを危惧していた。魔法使いとして力を解放したルシルが悪魔に加担すれば、世界を戦火で焼き尽くし、大災害も余裕で起こせるようになる。ルシルの心が悪しき者に利用される前に、彼の心を手に入れなければならない。そのためフロウはルシルに近づいたのである。
さらに、ルシルの心を手に入れることができれば、フロウの天使の地位は昇格するという。天界から与えられた仕事だったとはいえ、己の昇格のためにルシルを必要としていたフロウは、生きるために魔法使いを欲していた悪魔ロベリアを非難できる立場ではなかったのだ。むしろ昇格と生存を比べるならば、出世を目指していた天使側の方が欲深い印象さえ受ける。

 

 

このルートの問題となるのは、神の存在である。

ルシルがフロウを愛せなかった場合、神はルシルに罰を与えるとされる。結果的にルシルとフロウの間に愛が芽生えたから良かったものの、作中の神に対しては疑念が生じる設定である。悪魔に惹かれた者がすなわち他者に害を与えるかと言えば否で(悪魔ルートのルシルが良い例だ)、己の意のままに人間の心を操ろうとする神は、人の意思と可能性を見くびっている。


神の傲慢は天使に対する罪と罰の規定にも現れている。

人間界に降臨し受肉した天使は制約に縛られており、神の定めた理に反すれば天罰を受ける。その罰は犯した違反以上に重い制裁である。この罪と罰の規定は明文化されておらず、天使は知らぬうちに罪を犯すことを恐れて行動を制限している。

天使の権力を制限し、支配者たる神の理非を考えさせる余地を与えない点は有能な統治者と言えるだろう。
だが、曖昧な罪と罰の基準は到底納得できるものではない。

作中ではルシルとフロウが数日間セックスに浸っていると、フロウが罰を受けるシーンがある。一方で、娼婦の天使の存在は神に看過されている。神は恋人同士のセックスを罪と認定し、複数人に対して性的なサービスを提供することによって金銭を得る行為を許容するのである。
人間界の基準で言えば、恋人同士のセックスは合法だが、不特定多数の人物と金銭を介してセックスする行為は日本の売春防止法を筆頭に非合法あるいは不道徳であるとする価値観が根強い。数日間恋人とセックスを行うことと、複数の人物と金錢を介してセックスをすることを比較した場合、前者のみを罪とする神の論理は、納得し難いものである。

では、天界では価値観や性的な事柄に関する規範が異なるのだろうか。しかし、その疑問は天使フロウによって否定される。神に近い存在である天使フロウから見ても娼婦の天使が許されている状況は理解し難いとされている。

何故娼婦が許されて、フロウが罰を受けたのか。神の規定が明文化されていない以上、その根拠に公平性も論理性もない。神が罪だと判断した。それが唯一の理由である。人と天使は神の恣意的な判断に唯々諾々と従うしか術がないのだ。


呪われた沼地誕生の経緯も作中の神に対する不信感を覚える原因である。神は罪を背負って生まれてきた幼子に救済を与えない。神の理から外れた悪魔の子どもは悪しき者であり、滅ぼすべき存在だ。そうして正義の名のもとに、人間を派遣して子どもの胸に剣を突き刺してしまう。
苦しむ者や呪われた者を救わず、さらなる苦痛を与える神は冷酷な処刑人である。己の手を汚さず、天使や人間を使役する様子は狡猾だ。

本作で描かれる神は、あまりに残酷で傲慢で無慈悲である。

 

天使ルートでは何が罪に値するのかフロウとルシルは考えながら生活を送る。セックスに溺れると罪になると判明すれば、身を清めて禁欲する。ルシルとフロウは神に疑問を抱くことすらしない。
悪魔ルートでは悪魔は神から見捨てられているため、どれほど淫蕩な生活を送ろうとも罰を受けることもなく、楽しく生きることができる。


支配者たる神に自己の決定権を左右される天使。

神に見放されても己の生き方を通せる悪魔。

ルシルには二つの選択肢が用意されている。しかし、天使がどれほど高潔な人物であったとしても、神の描写に不信感を覚える以上、天使とルシルの幸せを無条件に信じることはできない。
どうかルシルの飛び立つ空は神の支配の外側であってほしい。ラストシーンのルシルを見ながらそう願わずにはいられなかった。