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創作物の感想

ゲーム『鬼畜眼鏡』五十嵐太一ルート感想

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何をやっても裏目に出てしまい、失敗ばかりの営業マン、佐伯克哉。ある日、謎の人物Mr.Rから手渡された眼鏡をかけると、人が変わったように有能に仕事がこなせるようになってしまう。その眼鏡は、かけた者を鬼畜に変えるアイテムだったのだ。

株式会社ビジュアルアーツのブランドSprayより2007年7月20日発売。

現代日本を舞台に、不思議な眼鏡を機に人生が一変する男性の恋と仕事を描く18禁BLゲーム。公式ジャンル名は「眼鏡着脱変身ADV」。

 

医療器具であると同時に装身具としての一面も持つ眼鏡。人物の性格を表す象徴として、眼鏡は古くから絵画やフィクションの中で描かれてきた。学識、知性、富裕、善良など優れた人間である証。悪人や盗人を示す片眼鏡。細かい手仕事をする際に職人や年配の人物がかける眼鏡。時代・文化の変遷と共に、眼鏡には多様なイメージが付加されてきた。

近年の日本で誕生したのが「鬼畜眼鏡」という言葉である。その字の如く、眼鏡を着用した鬼畜な人物を示す呼称であり、しばしば頭脳明晰ながら非道な行いをする人物として描かれる。BLゲームにおいては、中嶋英明(『学園ヘヴン』、2002年)、桐生崇征(『STEAL!』、2009年)、宇賀神剣(『オメルタ』、2011年)が代表例だ。

2007年に発売された『鬼畜眼鏡』は、BLゲームにおける眼鏡キャラクターの嚆矢となった作品である。暴言、陵辱、監禁。苛虐を強いる眼鏡男性、佐伯克哉の姿は、「鬼畜眼鏡」の体現者と言える。

 

 

主人公の佐伯克哉(演:平井達矢)は製薬会社MGNの子会社キクチ・マーケティング営業部第8課所属の会社員、25歳。

気の弱さと要領の悪さが災いし、仕事では思うように成果も上げられず失敗続きの日々が続いていた。

劣等感に苛まれていたある晩、佐伯は謎の男Mr.R(演:ルネッサンス山田)から不思議な眼鏡を手渡される。

「これを身につけた瞬間から、あなたの人生は大きく変わります」

眼鏡をかけると自信に満ち溢れ、有能に仕事がこなせるようになる佐伯。その眼鏡は、かけた者の能力を向上させるマジックアイテムだったのだ。佐伯は眼鏡を用いて優秀なビジネスマンに変身していく。

 

 

 

ユングが唱えた概念に「ペルソナ」がある。

役者が仮面を被って役を演じるように、人は社会生活に置いて求められた役割を演じている。子どもに対しては「親」という役、夫に対しては「妻」という役、職場では「〇〇部の主任」という役。人は地位や役割、場面に合わせて行動や態度を変化させる。「ペルソナ」とは、そのような自己の外的側面を指す概念である。

「ペルソナ」は着用している衣服によって表されることもある。警察、車掌、パイロット等の制服は、「警察官」「車掌」パイロット」の役を認識するための服装であり、制服を着た人間には職業に準じた行動が求められる。会社員が着るスーツも制服の一種である。スーツを着て社員証を身に着けたとき、人は「〇〇家の✕✕さん」という個人ではなく、「○○社の○○部の✕✕」と識別されて会社組織の一員としての振る舞いを要求される。

ユング心理学入門

ユング心理学入門

  • 作者:河合 隼雄
  • 発売日: 1967/10/01
  • メディア: 単行本
 

 『鬼畜眼鏡』の主人公である佐伯は、目立つことへの恐怖と自信の無さから己の内面を守るために、「周囲から浮かない人畜無害な人間」の「ペルソナ」を演じていた。所属する営業部内では「気弱で仕事はできないが真面目な社員」として認知されることで、友人で同僚の本多憲二(演:犬野忠輔)や課長の片桐稔(演:床魔乱夢崇矢)との良好な関係の構築に成功していた。

Mr.Rから手渡された不思議な眼鏡は、そのような佐伯の「ペルソナ」に新しい仮面を被せるアイテムであった。これまで普通の会社員から逸脱しないように良識のある行動をしていた佐伯は、眼鏡を着用すると「自信家で優秀な会社員」「傲岸不遜な男」の役を演じられるようになる。この「眼鏡を着用した佐伯」の顔になると、「裸眼の佐伯」には到底できない態度や言動を易易と行える。的確で自信に溢れた弁説で相手を納得させることもできれば、陵辱によって他者を支配することもできるのだ。ビジネスマンとしての闘争心。暴力的な欲望。「裸眼の佐伯」が周りの目を気にするあまりに抑え込んでいた能力と願望を「眼鏡を着用した佐伯」は解放させる。

私服から制服に着替えるように、佐伯は場に応じて眼鏡を着脱し、仕事を成功に導き、プライベートを充実させる。

ところが、まもなく心の均衡が崩れていく。元々の佐伯の人格は「裸眼の佐伯」であったが、「眼鏡を着用した佐伯」が会社内で認められていくうちに、「眼鏡の着用した佐伯」が佐伯の内的心象を蝕んでいくのである。外的側面である「ペルソナ」と内面の人格の同一視、「ペルソナ」の硬化である。

 

 

揺れる精神に対して提示されたのは、攻めルートと受けルート、二つの道。

佐伯が攻めになるルートは、「ペルソナ」である「眼鏡を着用した佐伯」と内的心象が統一された状況である。鬼畜眼鏡の人格で硬化した佐伯は、公私共に非道で鬼畜な人物として振る舞う。他人の目を気にせずに能力を発揮し、優秀な人間で在り続けるルートである。

一方、佐伯が受けになるルートは、「裸眼の佐伯」の人格を保ちつつ、「ペルソナ」を被って社会と折り合いをつけて生きていく。「社会人の佐伯」として真面目に仕事をこなしながら、プライベートでは「恋人としての佐伯」の顔を見せる。場面と状況に応じて役を演じ分け、社会に適応するルートである。

自己の心を守るために、内面と「ペルソナ」を統合させるのか。それとも、内面と「ペルソナ」を切り離すのか。『鬼畜眼鏡』が描くのは、自我定立を賭けた心理的葛藤である。

 

 

五十嵐太一ルートは、五十嵐太一(演:大石けいぞう)という男性が見せる様々な「ペルソナ」に出会いながら、彼の心を探る物語である。

物語の冒頭で遭遇する五十嵐は、「喫茶ロイド」のアルバイト店員としての顔。

気さくな性格で客にも気軽に話し掛ける五十嵐。人懐こくて屈託がなく、佐伯を見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。

親しく言葉を交わすようになると、五十嵐は21歳、東慶大学工学部の大学生だと分かる。さらに、学生の傍ら音楽活動をしていることやライブのヘルプとしてギターを弾いていることも知る。音楽の趣味が似ている佐伯と五十嵐は、やがてお互いのアパートを行き来する仲になる。

 

「アルバイト店員の五十嵐」「大学生の五十嵐」「音楽の趣味が合う友達としての五十嵐」。五十嵐の多彩な一面を知るにつれて、彼に惹かれていく佐伯。

しかし、五十嵐は佐伯に見せることができない「ペルソナ」を持っていた。

「ウイルスを仕込み個人情報を抜き出すアングラサイトの運営者」。「ヤクザの息子」。社会通念に照らし合わせれば好ましいとは言い難い五十嵐の裏の顔に、佐伯は対峙する。

 

佐伯が五十嵐の「ペルソナ」を掻き分けて、その本心に踏み込んだとき、物語はハッピーエンドを迎える。五十嵐は演じていた「ペルソナ」の中で最も望んでいた役を選択し、佐伯は彼の役を支える立場となる。

 

 

 

五十嵐ルートが秀逸なのは、「眼鏡を着用した佐伯」が五十嵐を監禁するBADエンドが用意されている点だ。場面そのものは描かれないが、佐伯×五十嵐の行為はあったことが示唆されており、本ルートの五十嵐×佐伯とは対照的である。

このBADエンドで描かれるのは、徹底的に分かりあえない二人の物語である。五十嵐は「裸眼の佐伯」を好いているが、「眼鏡を着用した佐伯」に対しては一貫して拒否の態度を取る。「眼鏡を着用した佐伯」も、「裸眼の佐伯」のように五十嵐を愛することができない。五十嵐と佐伯は、五十嵐×「裸眼の佐伯」の関係でのみ恋愛が成立する二人であったのだ。

 

「大学生の五十嵐」も「アングラサイトの運営者の五十嵐」も「ヤクザの息子の五十嵐」も受け入れた佐伯。

「裸眼の佐伯」の顔しか愛せない五十嵐。

穏やかな性格である「裸眼の佐伯」のときは表面化しなかったが、二人の決定的な違いは潜在していた。佐伯が「眼鏡を着用した佐伯」という役を得たことで、ついに浮き彫りになったのである。